肉牛、牛肉の周辺「アウトルック肉用牛」19
肉牛飼養管理の歴史から和牛の肥育体系を再考する
先日、3年ぶりに岩手県奥州市「牛の博物館」を訪問した。「牛の博物館第 26 回企画展―飼養管理の昭和史―牛飼いたちの仕事」が催されていた。この企画展では昭和時代の肉牛飼養の変遷が、当時の多くの資料で示されている。博物館に入ってすぐの正面に、常設展として 「ほんにょ」の実物がある。これは、刈った稲を円錐形に野外に積み上げたもので、和牛と稲わらの関係、それを中心とした農作業と生活、物質循環がよくわかる。
またこの地方のみならず全国の和牛改良に貢献した有名な種雄牛「和人號」の実物剥製があ る。この牛は、京都大学で育種改良のための後代検定試験がなされていた。その奧には東北地方でとくに有名だった「恒徳號」と「菊谷號」の実物頸頭部剥製が並んで壁に取り付けられており、圧倒される。
飼養管理の昭和史企画展では、第一回全国和牛産肉能力共進会(昭和41年、岡山)のポス ターが展示されていた。この時のテーマは「和牛は肉用牛たりうるか」であったが、10年後の昭和52年の全国和牛能力共進会では「和牛は我が国独自の肉用種である」と宣言され ている。
また昭和40年代に登場した、各種飼料をあらかじめ配合した民間会社の「肉用牛用完全配合飼料」のパンフレットも展示されていた。よくぞこのようなものが保存されていたという感慨と、博物館の存在意義が感じられる。それには、肥育の形態別に配合飼料の使い方が示されている。当時の和牛肥育形態は多様で、去勢牛の若齢肥育として、標準的若齢肥育、若齢理想肥育、草地放牧利用の若齢肥育などがそこに記載されている。私が民間の飼料会社時代に作ったパンフレットも展示されており、感無量の再会であった。
現在、生産価格低減化のため、和牛の肥育期間短縮が国や各県の試験として試行されており、その技術や経済性について多くの議論がある。昭和の時代から現在に至るまで、多種多様な 肥育方式が、現在の肥育方式に集約されてきた飼養管理の歴史を知ることも、今後の我が国の牛肉生産と肥育方式を考える上で重要である。
(全国農業新聞 2018-10-26 を改変 木村 信熙)
Masters of Beef Association(MOBA)
マスターズ・オブ・ビーフ・アソシエーション